「“一人で生きられない”と言う人たちへ」


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心の叫び(魂の訴え)

もう嫌だ。

うんざりだ。


「ルールを守って生活しろ」って?

「人は一人じゃない、一人では生きられない」って?

……分かった風な口を利くな。

常識人、知識人、分別ある大人たちよ。

何が分かる?

本当にそんな状況になったこと、あるのか。

「あなたの気持ちは分かります。でもみんな我慢してるんです」?

「ルールを守って生活しているんです」?


フフッ

それが正しいと?

それが生きるということだと?

「甘えるな」って言うのか?


じゃあ聞く。

お前は、本当に死にかけたことがあるのか?

目の前にあるものを口に入れなければ「死ぬ」。そんな現実に立ったことがあるのか?


究極の選択だ。

「死ぬか、生きるか」


その瞬間に、自分の足で立ったことがあるのか。

まるで映画かドラマの世界のように思うかもしれない。

でも、これは現実だ。俺の現実なんだ。


今、私は61歳になったばかり。

この歳でこう言えば、必ず言われる。

「体験してないくせに」

「今の時代にそんなことあるわけない」と。

確かにな。


私が生まれたのは1964年、高度成長の真っ只中。

オリンピックイヤー。新幹線が走り出した。夢にあふれた年。

10歳の頃にはもう時代は進んでいた。

格差も差別も、確かに残っていたが、同世代の子供たちは、

最低限の「当たり前」を受け取っていた。

朝食はパンとコーヒー、ゆで卵。

昼は普通に食べて、

夜は月に1〜2回は焼肉や外食。

それが普通だった。

でも、私は違った。

そんな生活、夢のまた夢だった。

望むなら、自分で手に入れるしかなかった。

だから10歳の時に決めた。

自分の道を、自分で選ぶ。

誰も助けてくれないなら、自分でやるしかないと。

そして同時に、自分に言い聞かせた。

「責任の取れないことは、しない」

「やったことの責任は、自分で背負う」

何が起きようと、それは自分の選択の結果だ。


それがどんなに苦しくても、悲しくても。

でも、そんな話をすれば、必ず批判が返ってくる。

「間違ってる」

「だからダメなんだ」

「もっと素直になれ」「人に頼れ」


——でもな、理解されることなんて、最初から期待していない。

こんな生き方、誰にも分かるはずがない。

一人で生きられる人間なんていない。

だけど、一人で生きるしかなかった人間はいるんだよ。


ああ……もういい。


疲れた。


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Eagleといいます。 頸椎損傷から31年が経ちました。 パソコンのパの字も知らなかったのに今ではこうしたこともできるようになりました。「頑張るあなたにエールを!」をテーマに、YouTubeやブログを通して情報の発信を行っています。