私たちは忘れない
起こった事実を
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悲しみを乗り越え、未来へ
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詳細:戦後80年は、2025年(令和7年)を指し\ます。第二次世界大戦が終結して、80年が経過する節目の年となります。
【戦後80年について】
広島や長崎に原爆が投下され、戦争が終わって80年となります。
戦争をした国に生まれた私たちが、二度と戦争を繰り返さないという「誓い」の意味を改めて考えます。
東京大空襲から80年となる日には、東京都墨田区の都慰霊堂で、犠牲者を弔う大法要が開かれました。
昭和100年という時には、昭和前期の20年(これは近代日本史の誤謬〈ごびゅう〉の凝縮時間だが)を踏まえての100年であり、戦後80年という時は現代史総体を指していて、近代史を克服する意味が「戦後」に仮託されている、という解釈もあります。
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好 書 好 日
ひもとく/2025.01.15
昭和100年/戦後80年 自らを問い、歴史と対話を 保阪正康
今年は「昭和100年」、あるいは「戦後80年」という言われ方もする。いずれにしろ時代の節目ということになるのだが、確かにこの2、3年来の動きを見ても、時代の変革の鼓動が聞こえてくる。例えば、ロシアのウクライナ侵略戦争をはじめとして、このところの軍事衝突を見る限り、「政治の延長に軍事がある」というテーゼは覆り、「軍事の延長に政治がある」という戦争論の構築が必要になっている。
それだけに私たちが、今の地点を「昭和100年」と見るか、「戦後80年」と見るかは重要な意味を持つと思うのだ。昭和100年という時には、昭和前期の20年(これは近代日本史の誤謬〈ごびゅう〉の凝縮時間だが)を踏まえての100年であり、戦後80年という時は現代史総体を指していて、近代史を克服する意味が「戦後」に仮託されている、という解釈になる。ここでは「昭和100年」と見て、思想家、作家、研究者などの作品の中から、昭和前期の誤りを克服して、現代史に重量感を与えている書を五人五書という形で選んでみたいと思う。
時代と重なる人生
昭和史に関する書は、とかく、ある歴史観によって記述されてきた。そんな中で、時代の流れと自らの人生を巧みに絡ませながら、同時代史と歴史的視点を提示している書がある。中村隆英(たかふさ)の『昭和史』である。著者は1925(大正14)年の生まれになるのだが、その人生は昭和という時代とほぼ重なり合う。自らの歩みが昭和の変貌(へんぼう)の中に刻まれている。少年期から青年期がまさにファシズムの時代、戦争の時代である。
ともすれば軍事主導を客観視した論述に傾きがちな通史を、自らの専門(経済学)と世代的体験をもとに実証的に記述していて、昭和100年を俯瞰(ふかん)するのにもっともふさわしい。例えば、「東亜の解放」は帝国主義国間の戦争の結果、意図せざる形でもたらされた人類史の変容であるという指摘については、国家解体まで懸けた後進帝国主義国・日本の自殺不随随現象と言えるのではないか、と私は考えたい。
昭和100年は、昭和が「同時代史から歴史へ」と移行する時でもある。時代の意思が普遍化すると言ってもいいかもしれない。それに耐えうる評論家(医学を学んだ文筆家)として加藤周一の名を挙げても良いであろう。加藤にはこの国の文明、伝統、国民意識、戦争などを根本から論じた書があり、「寸鉄人を刺す」重い本質が込められた表現に出会う。例を挙げよう。『加藤周一セレクション5 現代日本の文化と社会』に収められている天皇論(46年の「天皇制を論ず」など)について言えば、加藤は天皇制に否定的で、その理由として対外的、国内的なものを挙げて激しく論じる。いずれも戦争の因になるという点にあると指摘する。79年に書かれた「追記」では、その後の戦後社会を見て、日本には天皇制以外に好戦的条件が生まれていると分析している。
加藤は、極めて真面目に日本社会の知的営為を見つめてきた。その論が今後の歴史的視点に定着するか、私は興味を持っている。他にも竹内好、橋川文三、上野英信、半藤一利らの歴史評論やノンフィクションの視点の生命力が問われるであろう。
問題は全て先送り
繰り返すことになるのだが、「昭和100年」という主舞台に「戦後80年」をのせて、次代に伝えるべき作品は何かを考えてみたい。私は、「政治指導者」「高度成長の影」「沖縄の位置」の三テーマに注目しておかなければならないと思う。むろんこの他に「対米関係」「核問題」「市民意識」「生活」や「非武装」なども重要だと思う。しかし「政治指導者の田中角栄」「水俣の石牟礼道子」「沖縄の大城立裕(おおしろたつひろ)」には、日本社会が取り上げなければならない重さがある。
立花隆は、その80年の人生を駆け抜けたように思う。同業の同世代の友人として言うならば、立花は発想そのものの原点が違っていた。彼と話していると、主語が「人類は」とか「ホモサピエンスは」といった具合に大局観を語り、それを前提にした論理展開をしていく。その意味で今年のような節目の年には、彼の著作が読まれるべきであろう。多くの作品の中からあえて選ぶとすれば、『田中角栄研究 全記録』になる。
田中は昭和という時代に生まれた32人の首相の中で、あらゆる意味で稀有(けう)の存在であった。官僚や財界、労働界などの出身者と異なり、政治資金を乱暴な手法で、自ら賄った。この書は、そういう金権政治への立花の怒りをもとに書かれている。ロッキード事件を論じながらも日本社会の暗部を抽出している点に独自性と深みがある。
石牟礼道子の『苦海浄土(くがいじょうど) わが水俣病』は、水俣病患者やその家族の聞き書きをもとにした、50年代から60年代の公害患者の記録である。戦後80年は、高度経済成長によって、戦前・戦争の時代に屈辱と侮辱に耐えた日本の文官たちが反乱した、という言い方もできた。満州事変以後の昭和の戦争と60年からの高度成長は、それぞれほぼ14年だが、どちらも問題が起こると全て先送りされた。石牟礼の着眼点は、その構図を怒りとともに浮き彫りにしている。同時に、伝統的な共同体が崩壊していく様を通して、企業や政府を批判する。私たちはその点に気づいた時、この書の持つ歴史性(太平洋戦争批判にまで達する歴史である)に脱帽しなければならない。
最後に、沖縄の歴史的位置を問うた作品に触れておきたい。大城立裕『カクテル・パーティー』は芥川賞の受賞作だが、アメリカ人、中国人、そして日本人、沖縄人、それぞれの人生の過去と現在が、ある事件で浮き彫りになる。被害者が加害者であり、加害者が被害者であるという歴史の構図を描くこの書は、多様な解釈ができる。私たちは自らの現在を見て、加害と被害の両面について歴史上の考察を加える必要がある。この作品は、沖縄人のかつての戦争体験をもとに加害を見つめるところに新鮮な驚きがある。
私たちは、自身の存在を改めて問う形で歴史を解釈し、こうした作品と対話しなければならない。必要なのは、先達が作り上げた歴史観の点検と継承である。今年はその覚悟が必要ということになるだろう。=朝日新聞2025年1月11日掲載
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熊本地震 (2016年)
熊本地震(くまもとじしん)は、2016年(平成28年)4月14日21時26分以降に熊本県と大分県で相次いで発生した地震。
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気象庁震度階級では最も大きい震度7を観測する地震が4月14日夜(前記時刻)および4月16日未明に発生したほか、最大震度が6強の地震が2回、6弱の地震が3回発生している。
日本国内の震度7の観測事例としては、4例目( 九州地方では初 )および5例目に当たり,
一連の地震活動において、現在の気象庁震度階級が制定されてから初めて震度7が2回観測された。また、熊本県益城町で観測された揺れの大きさは計測震度6.7で、東北地方太平洋沖地震の時に宮城県栗原市で観測された揺れ(計測震度6.6)を上回り、国内観測史上最大となった。さらに、一連の地震回数(M3.5以上)は内陸型地震では1995年以降で最多となっている。
概要:4月14日21時26分。熊本県熊本地方を震央とする震源の深さ11 km、気象庁マグニチュード (Mj) 6.5、モーメントマグニチュード (Mw) 6.2 の地震(前震)が発生し、同県の益城町で震度7を観測した。
その28時間後の4月16日1時25分には、同じく熊本県熊本地方を震央とする震源の深さ12 km、Mj7.3、Mw7.0 の地震(本震)が発生し、西原村と益城町で震度7を観測した。Mj7.3 は1995年に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)と同規模である。
当初、14日に発生したM6.5 の地震が本震と想定されていた。しかし16日未明に上記Mj7.3 の地震が発生したことを受けて気象庁は同日、後者(16日未明)の地震が本震で、前者(14日)の地震は前震であったと考えられるとする見解を発表している。過去に当初の発表から訂正され、本震と余震が入れ替わる事態は海溝型地震である2011年の東北地方太平洋沖地震においても起こっているが、内陸型(活断層型)地震でマグニチュード6.5以上の地震の後にさらに大きな地震が発生するのは、地震の観測が日本において開始された1885年以降で初めての事例であり、また同じ地点で震度7が2回観測されるのは、初めてのことであった。
一方で、静岡大学客員教授の吉田明夫は14日と16日の地震のメカニズムが異なるとし、「『前震 - 本震』ではなく独立した活動とみた方がいい」と指摘している。
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14日の地震は日奈久断層帯の北端部の活動、16日未明の地震は布田川断層帯の活動によるもので、隣接する二つの断層帯が連動することで発生した連動型地震とみられている。
東京大学地震研究所教授の纐纈一起は、「活発な断層帯が隣り合う特別な条件下において一連の地震が発生した」と指摘している。一方、名古屋大学教授の鈴木康弘は「別々の断層帯でなく、一続きの断層帯とみるべき」と主張しており、前震の割れ残りが動いたことで本震が発生したとしている。さらに16日の本震以降、熊本県熊本地方の北東側に位置する阿蘇地方から大分県西部にかけての地域と、大分県中部(別府-万年山断層帯周辺)地域においても地震が相次ぎ、熊本地方と合わせて3地域で活発な地震活動がみられた。
熊本地方の大地震が離れた地域の地震活動を誘発した可能性(誘発地震)が考えられているが、このような例は気象庁の担当官も「(日本の)近代観測史上、聞いたことがない」としている。これらの理由により、前震・本震・余震の区別が難しいとされ、気象庁は「16日のものが本震とも言えるが、3種の区別をせずに見ていきたい」と説明している。
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営団日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故
営団地下鉄日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故(えいだんちかてつひびやせんなかめぐろえきこうないれっしゃだっせんしょうとつじこ)は、2000年(平成12年)3月8日午前9時1分頃、帝都高速度交通営団(現:東京メトロ)日比谷線において、恵比寿駅から中目黒駅に入線しようとしていた列車がカーブで脱線し、対向列車と衝突した鉄道事故[1]。死者5名、負傷者64名[1](2000年10月26日付の事故調査検討会報告書では63名[2])を出した。
概要:北千住発菊名行き各駅停車(列車番号A861S、営団03系電車03-102編成)の最後尾車両(03-802)が、中目黒駅手前の急曲線における出口側緩和曲線部(カント逓減のため平面性が失われる箇所)で、カーブ外側の車輪が乗り上がり脱線を起こした。機材線用ポイントにより隣接線にはみ出したところ、対向の中目黒発竹ノ塚行き各駅停車(列車番号B801T、東武20000系電車20050型21852編成)と側面衝突しした。死亡した乗客5名は全員が東武側車両の6両目(モハ23852)に乗車していた。
東京消防庁では9時8分に「電車出火、負傷者多数」との通報を受け、火災第1出場および救急特別第1出場を指令し、消防隊・特別救助隊・救急隊を出場させた。その後、現場に到着した消防隊から「脱線により負傷者多数」との報告および応援要請を受け、9時29分に救急特別第2出場、9時36分に救助特別第3出場を発令。救急隊29隊のほか、ハイパーレスキュー隊や特別救助隊など合計77隊の消防隊・救急隊が救助活動にあたった。
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未 来 へ
関 西 万 博 開 催
テーマ
いのち輝く未来社会のデザイン
Designing Future Society for Our Lives
サブテーマ
Saving Lives
(いのちを救う)
Empowering Lives
(いのちに力を与える)
Connecting Lives
(いのちをつなぐ)
コンセプト
ー People’s Living Lab ー
未来社会の実験場
展示をみるだけでなく、世界80億人がアイデアを交換し、未来社会を「共創」(co-create)。
万博開催前から、世界中の課題やソリューションを共有できるオンラインプラットフォームを立ち上げ。人類共通の課題解決に向け、先端技術など世界の英知を集め、新たなアイデアを創造・発信する場に。
開催期間:2025年4月13日(日) – 10月13日(月)184日間
開催場所:大阪 夢洲(ゆめしま)
慈善活動 Eagle Ltd,
Eagleといいます。 頸椎損傷から31年が経ちました。 パソコンのパの字も知らなかったのに今ではこうしたこともできるようになりました。「頑張るあなたにエールを!」をテーマに、YouTubeやブログを通して情報の発信を行っています。
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