自己決定までの記録
こぼれ話:障害を負うまでの軌跡
(Eagle)
冒頭
支援とは、いま目の前にある身体だけを見つめることではない。 その人が、どこから来て、何を失い、何を抱えて生きているのか—— その軌跡に目を向けることが、本当の理解への第一歩ではないか。
この短編は、私自身の「障害を負うまでの軌跡」を記すものである。 誰にも語られず、誰にも届かないかもしれない。 それでも、私は記しておきたい。 支援の本質を問い直すために。
軌跡
今朝も看護師と衝突した。どうも相性が悪い。 看護師は私と同年代。経験年数も長い。 だが、頸椎損傷患者をどこまで理解しているのか。 その人の生きてきた軌跡を、どうとらえているのか。
私のこれまでの——いや、怪我をするまでの日々を。 それは、ただの“前史”ではない。 それは、私という人間の根幹だ。
怪我をするまでの私は、現場で働き、汗を流し、 建設、プラント、鳶、リフォーム—— 身体を使って生きることが、私の誇りだった。
その日々が、ある日突然、断ち切られた。 そして、私は“障害者”になった。 その瞬間から、私の声は遠くなった。 知識も、経験も、何もない者として見られるようになった。
だが、私は忘れていない。 あの頃の風の匂いも、鉄の重みも、仲間の声も。 それらは、今も私の中で生きている。
だからこそ、問いたい。 支援とは何か。理解とは何か。 その人の“今”だけでなく、“かつて”にも目を向けること。 それが、ほんとうの支援ではないのか。
誰も悪くはない。 ただ、見えていないだけなのだ。 そのことを、
慈善活動 Eagle Ltd,
Eagleといいます。 頸椎損傷から31年が経ちました。 パソコンのパの字も知らなかったのに今ではこうしたこともできるようになりました。「頑張るあなたにエールを!」をテーマに、YouTubeやブログを通して情報の発信を行っています。 2025/11/22 プロフィールを更新 障害があるなしにかかわらず、 ひたむきに頑張るあなたへ。 『その一歩が、未来を変える.....』 EAGLE
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